プレゼンの苦い思い出

アメリカ同時多発テロ事件の3週間前、プレゼンのためボストンにいた。

医療機器メーカーのグローバル・開発プロジェクトの一環として日本側の開発計画を説明するというものだった。

予定日の3日程前に急に命令を受けた。

要は誰も恥をかきたくないからお前が行ってこい、ということだ。

「了解しました」とすんなり受けた。

結果は案の定酷いものだった。

全然言いたいことが伝わらない。

というか、何を伝えたいか自分でもわかっていない状況。

正直相当凹んだ。

ただ、22年を経た今たった一つだけ自分を褒めたいと思うことがある。

それは、その時の失敗を誰のせいにもしなかったこと。

その失敗の後は、何食わぬ顔で自分のできる仕事に集中し、その中から自分はそこそこ文章が書けることに気付き、それが今の翻訳の仕事にも繋がっている。

プレゼンの神髄についても痛い思いをしてわかった。即ち、プレゼンとは自分の考えていることを頭の中で整理して発表する場であるという単純な事実が骨身にしみてわかった。

頭の中に無いことは何を言っても伝わらないし、それをしっかり整理しなければきちんと伝わらない。

だから何時間もかけて準備をする。

そしてその準備作業は楽しくなければならない。

楽しく準備できれば、本番も楽しくでき、オーディエンスにもしっかりと伝わる。

もちろん準備中に壁にぶち当たる時もある。

しかし、そんな中でも楽観的に物事を進める。

悲観的に準備をすると、悲壮な思いしか伝わらない。

座禅を30分ほどしていると、何とも言えない心の安らぎを感じる。心と体が一体となり外部と内部の境界が取り払われたような感覚。

プレゼンの準備もそれに似ている。

何時間もかけて準備をしていると自分の言いたいことが神羅万象と一致し、力強い説得力となる。

そういった感覚は頭ではなかなかわからない。実際に行動してはじめてわかるもの。

そういう意味でも失敗を恐れず前に進む勇気と失敗から学ぶことの喜びは大変重要。

これらは必ず自分の成長に繋がる。

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