西洋の歪んだ日本批判とグローバル経済

人はエゴに支配されているときとんでもない言動をする。「神の声」を自身と一体化させ、正義の名のもと呪いの声をあげる。 それが集団となると「敵」への暴力へと繋がり、果ては暴君となりジェノサイドに至る。 人類の歴史で幾度も繰り返されてきた愚行。

西洋が日本を批判するときどうしてもこの「暴君」が見え隠れする。 「気候変動で日本はしっかりとした役割を担っていない」とか。 「戦後の日本はドイツのようにきちんと反省していない」とか。 「日本の経済制度は自由競争は阻んでいる。米国のようにしっかりと民営化すべき」とか。

一見真っ当そうに思えるこういった指摘も実は何の根拠もなかったりする。 例えば、「気候変動で日本はしっかりとした役割を担っていない」とか批判しつつ、フォルクスワーゲン社のようにディーゼルエンジンのデータを平気で改竄したりする。 ばれたら何も反省することなく、今度はEVだ、などとやっている。 そしてそのEVが尋常なく環境を破壊していることには素知らぬ顔。

こういった人々がいわゆる「自由で公正」なグローバル経済を支配している。 我々はそういった実情をリスクとしてしっかりと認識し、長期的かつ独立志向で日本の経済を考えなければならない。

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