日本文明は、世界各地の英知が様々な形で列島にやってきてそれが風土に合わされる形で生成された。例えば、日本神話の造化三神はキリスト教の三位一体に対応する。
三位一体論では、父(絶対神)が精霊を通じ子(人と現世)をもたらす。神は唯一の存在であると共に、そこに女神の役割はない。
造化三神の思想では、アメノミナカヌシが最初に現れ、その後タカミムスビ(男)とカミムスビ(女=大地)が現れ、その後三神ともにお隠れになる。その次に、様々な神々が男女対で生まれ、最後にイザナミとイザナギを通じこの世が形成される。よって万物に神が宿る。これは、プラトンのイデア論にも通ずる。絶対真理のイデア(神)が魂であるプシュケ(タカミムスビ=男神=精霊)を通じて物質(カミムスビ=女神=体)と一体化し現世を作り出す。
日本ではこの太古の考え通り、万物に神が宿ることがそのまま信じられてきた。しかし、これは恐らく海で隔てられた列島という特殊環境のもと独自に発展した結果だろう。
西洋ではコミュニティーが外部により滅ぼされる恐怖が常に存在した。よって絶対神を必要とした。そして絶対神が他者を征服するときのツールともなり、文明の継続性に寄与した。いわばアメノミナカヌシを唯一絶対神に位置付けたのがユダヤ・キリスト・イスラム教文明だ。
日本文明では「神」は万物に宿るので軍事・政治的にやっつけた相手でも「神」となり、現世に記録される。そうしても社会が不安定化することはなかった。政教は緩やかに分離され、絶対的な神権政治に陥ることもなかった。
一神教の国々ではジェノサイドがデフォルト。いったん火が付けば神の名のもと住民を終わりのない殺し合いに引きずり込む。日本でも宗教戦争ぽいのはあったが、極めて限定的。皆殺しになるような戦は少い。
現代において、そんな日本の特色は、この混迷する世界に貢献できるかもしれない。他の文明を攻撃するでもなく屈するでもなく、そのままの姿を世界の色々な人々に体現してもらうだけで人類を次のステージ(即ち絶対神を必要としない世の中)に昇華させ得る。そんなポテンシャルを持った稀有な存在だと思う。それを維持することが日本人の使命のような気がする今日この頃。